瞑想について

瞑想の仕方

●瞑想とは、冥界を想うというのが語源です。すなわち、魂の世界に波長を合わせるというのが本来的なものですが、大きく分けて何も考えない瞑想(無又は空の瞑想)とイメージングする瞑想とに分けられます。何も考えない瞑想は禅宗で行われているようなもので、イメージング瞑想は、真言密教の阿字観で行われているような宇宙と一体化する意識の拡張の瞑想です。
●私が普段やっている瞑想はこの両者を併せたようなものです。まず、意識を拡張していって、自分が、一人の人間の意識から地球の意識→太陽系の意識→銀河系の意識→宇宙全体の意識→宇宙全体がなくなってしまっても存在するものの意識へと意識を拡張してから元に戻しますが、宇宙全体と一体化した後で宇宙そのものも消し去ってしまうようにしています。すなわち、意識を拡張する瞑想において宇宙全体と一体化した状態で禅宗の無の瞑想をするわけです。この方法だとかなり魂の根源に触れられるような気がしています。
● なお、瞑想をどのような姿勢で行なったら良いかという点については、横になってもいいし、座禅を組んでもいい、手の置き方も丹田の位置に重ねて組んでもいいし、ひざの上に開いておいてもいい、自分の自由な姿勢でかまいません。また、瞑想中に体が動き出したら、それは、自発霊動といって、自分の体の経絡のつまりをとるために体が勝手に動いていると解釈してください。体の動きにさからわないことが重要です。激しい動きは、そのうちに穏やかになりますからあせらないことです。

冥想中に見えるビジョン

瞑想を続けて行くといろいろなビジョンが見えて来たりします。
そこで、問題となるのが、このまま続ければ良いかということです。ヨガやヒンズー教の瞑想では、このようなビジョンは、結構重要視するようです。芸術家が瞑想で見たビジョンにより、すばらしい芸術作品を作り上げることもあります。
しかし、ここが瞑想のゴールではないと思います。瞑想中に非常に美しい風景が見えたり、非常に美しい音楽が聞こえて来たりする場合は、禅の瞑想では、魔境といって、それを退けないと真の悟りは得られないと言っています。
瞑想中に神に会ったら、神を殺せ、仏に会ったら、仏を殺せという過激な言葉もあります。瞑想中に出てくる神や仏はすべて魔境において、魔界の存在が見せている偽ものだというのです。
これは、神を自分の外に求めるか、内に求めるか、ということにもかかわってきます。
私は、自分の心のうちに広がる内的宇宙にこそ、宇宙の根源の魂があると思っていますので、外の神は人間のために働いてくれる存在であっても、恐らく六道輪廻の神界の存在であろうとして判断しています。
自分が宇宙の一部である以上宇宙のすべてにつながるものは、自分の内側につながってくるとしか思えないのです。もちろん、外の神だって、いろいろ役立ってくれることもあるので、そういったことに対して感謝はいたしています。
ただし、外の神は人間が人間として生きる上では協力してくれますが、必ずしも、解脱するために協力してくれるとは限らない。というより、悟りを開こうとするものの足を引っ張ってくることが多いということも聞きます。
瞑想する際は以上のことをふまえて、すれば良いと思います。何らかのビジョンが見えてきたら、見えるままにしておいて、かつビジョンにとらわれないようにしながら、それを超えるものが現れてくるのを待つというやり方です。
あまり、雑多なビジョンが山のように見えてくる場合は、そのビジョンを見ている自分を客観的に眺めている自分を意識しているうちに、コントロールがついて来ます。
また、現在の所からもう1ランク上のところに行けるかもしれません。 目的を絞って瞑想するのも良いでしょう。
とりあえず、自分のハイアーセルフに会ってみようというのも良いと思います。



瞑想中の注意
まあ、最初の内は、あまり気にしないで瞑想しても大丈夫ですが、ある程度、深い瞑想状態になったときには霊的存在にはいりこまれるという危険性もあります。何らかの信仰のある人だったら、瞑想する場にお守り、御札、神像等を用意するといいと思います。
密教の阿字観瞑想等では、結界を張ってから瞑想をするようにしています。



瞑想中の圧力感

瞑想を続けていると、アジナチャクラ(額のチャクラ)のあたりに強い圧迫感が感じられることがあります。大抵、印堂のあたりの奥の部分か、それより少し上ぐらいの位置の圧迫感だと思うのですが、私も以前こういう感触を味わったことがありました。そのときは、アジナチャクラの奥のほうで脈打つ感じがしていましたが、頭全体にエネルギーが暴れているという感じではないし、気にしなければ、対して気にならないし、偏差は以前味わったことがありますが、それとは違う感じがしました。
それで、偏差というより、アジナチャクラが覚醒する前兆だろうと喜んでいました。しばらく前には、頭頂や額に蟻が這いずり回るようか感じがしていました。これは、明らかにチャクラの覚醒の前兆です。
そう言えば、蓄膿症のように鼻の奥が詰まった感じがするときがありましたが、それほど対したことないのでほっといたら、直ってしまいました。アジナチャクラの活性化とは別に鼻の奥にエナジーが停滞していたようです。



蓄膿症のような症状について

瞑想を続けていると鼻がつまって、蓄膿症のような症状になるときがある。このような場合の対処法としては、以下のような方法があります。
鼻に向けて手をかざすと、鼻の奥の圧力感を感じる部分で、脈動を感じたりする。その状態でその圧力感の感じる部分に角氷が載っている状態をイメージしてください。鼻の奥のイメージングが難しければ、鼻の付け根でもいいです。
鼻の奥に角氷が感じられます。氷で冷やされて鼻の奥がだんだん冷たくなってきました。鼻の奥が冷たくなってくると、鼻がだんだんスースーしてきました。しばらく、これを、続けてください。
頭全体が重い感じがした場合であれば、偏差だと思うので、そのような場合は、たまったエネルギーを頭から抜いてみるようにすると良いです。簡単なやり方としては、両手のひらを額の前方に持ってきて気のボールを作るように手のひらを合わせて、頭の中にたまったエナジーを掃除機で手のひらの中に吸い出すイメージをするのです。
手のひらいっぱいに頭にたまったエネルギーが吸い出せたら、それをぽいっと捨てます。そして、再び、手の中に頭の中にたまったエナジーを吸い出します。これを、何回も繰り返します。吸い出すときに電気掃除機を強烈にイメージする程、効果が高いようです。もちろん、鼻の奥の圧力感に対してやってみても結構です。
気になるような場合は、しばらく瞑想を止めたほうがいいかもしれません。
偏差の解消法としては、白隠禅師の軟蘇の法なんかもいいと思います。



夢見と瞑想の状態

夢見と瞑想の状態は、イコールか?ということについては、かなり近い状態であると言っていいと思います。2度寝の時の朝がた見る夢っていうのは、ちょうど脳波がシーター波になっていて、瞑想状態に非常に近いのです。逆にいえば、瞑想こそ、夢見で見られるビジョンを人工的に作り出す手法だとも言えます。ですので、利用方法としては、瞑想と夢見術は、同様な手法が使え、また、同様な効果が出せるともいえます。マーフィーの法則でも、願望実現を夢見術に応用していますが、これは、瞑想法をマスターするより、夢のほうが近道だからと考えたのでしょう。
© 1999

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